増上寺 その2

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増上寺に行った目的は。。。。。徳川将軍家墓所です。

↑こちらの門の横から入ります。こちらの門は青銅製で、本来六代将軍家宣公の宝塔前の中門でした。

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こちらに宝塔が並んでいます。

二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公、家茂公正室和宮、合祀塔には桂昌院、月光院など歴代の正室や子女となります。

ちょうどボランティアの方がいて、いろいろな話を聞くことができました。

↓こちらは家茂公と正室の和宮様が並んでいます。

和宮様は皇族なので本来京都に埋葬されるはずでしたが、本人の遺言で「家茂公の隣に埋葬してほしい」とのことから並んでいます。

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↓そして、私が名君だと思う六代将軍家宣公の宝塔です。48歳で将軍となり3年ほどで死去しました。もっと活躍して欲しかったです。

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↓青い部分が今の増上寺、太平洋戦争前はその倍以上の敷地があり、霊廟などが並んでいました。

それぞれ国宝だったのですが、太平洋戦争の空襲で焼けてしまったそうです。

その後、東京オリンピックにむけて、遺骨を掘り出し焼け残った宝塔を移動し、ピンクの部分にプリンスホテルが建てられました。

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焼ける前の写真も紹介していました。

秀忠公の霊廟は三代将軍家光が建てたのですが、この後に日光東照宮の建築に取り掛かっています。

この2つは類似した部分も多いようです。

残っていたら、素晴らしかったでしょうね。見てみたかったです。

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この記事について

このページは、りりこが2023年10月24日 08:10に書いた記事です。

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長野県塩尻市の山間の村にある「興龍寺」というお寺に生まれました。
小学校へは1時間ほど歩いて通ってましたが、毎日まっすぐ帰ることはありませんでした。自然に恵まれていたので、近くの山を越えたり、湖を1周したり、カブトムシを捕りに行ったり、川や田んぼで遊んだり…ともかく毎日、違う経路で遊びながら帰っていました。
その当時はあまり感じていませんでしたが、今は信州の四季折々の自然の美しさを実感しています。
そこで、私が感じた信州の自然の素晴らしさを、随時お伝えしていきたいと思います。