山辺学校

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明治18年に松本市里山辺、入山辺両村の村費と寄付により建てられた木造2階建ての校舎です。

旧開智小学校が「ギヤマン学校」と呼ばれたのに対して、山辺学校は障子の窓だったため、「障子学校」と呼ばれていました。

開智学校が大きな借金となったため、素朴な造りになったとのことです。

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外壁はなまこ壁になっています。(なまこ壁で合ってますよね!?)

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また、当時の暮らしや文化も紹介しています。

↓こちらは、お八日といって2月8日に馬の形をした藁のつくりものを作り、これを疫病神に見立てて焼き払ったりします。

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このページは、りりこが2021年12月 9日 08:32に書いた記事です。

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長野県塩尻市の山間の村にある「興龍寺」というお寺に生まれました。
小学校へは1時間ほど歩いて通ってましたが、毎日まっすぐ帰ることはありませんでした。自然に恵まれていたので、近くの山を越えたり、湖を1周したり、カブトムシを捕りに行ったり、川や田んぼで遊んだり…ともかく毎日、違う経路で遊びながら帰っていました。
その当時はあまり感じていませんでしたが、今は信州の四季折々の自然の美しさを実感しています。
そこで、私が感じた信州の自然の素晴らしさを、随時お伝えしていきたいと思います。